戦後を振り返って

2017年3月12日 (日)

戦後を振り返って 第25話

戦後を振り返って 第25話

      北方領土の歴史事実を振り返る事により領土問題の解決策は明らかになる

 クリル諸島に関する19世紀の外交文書を見ると北方領土近辺の事情、国境等がはっきりしてくる、それは

1、1855,2,7日魯通好条約  第2条 今より後日本国とロシヤ国との境「エトロフ」島と「ウルップ」島の間に在るべし「エトロフ」全島は日本に属し「ウルップ」全島より北の方「クリル」諸島はロシヤに属す(以下略)

2、1875、8,22樺太千島交換条約   第2款 全ロシヤ国皇帝陛下は第1款に記載せる樺太島の権利を受し代としてその後胤に至る迄現今所領「クリル」群島即ち第1「シュムシュ]島第2「アライド」島第3「バラムシロ」島第4「マカンシル」島第5「ヲネコタン」島 第6「ハリムコタン」島第7「エカルマ」島第8「シヤスコタン」島第9「ムシル」島第10「ライコケ」島第11「マツァ」島第12[ラスツア]島第13「スレドワネ」及び「ウシシル]島第14「ケトイ」島第15「シムシル」島第16「プロトン」島第17「チエルボイ」ならびに「プラット、チエルボエフ]島第18「ウルップ]島共計18島の権利及び君主に属する一切の権利を大日本帝国皇帝陛下に譲り而今而後「クリル」全島は日本帝国に属し東察加地方「ラバッカ」岬と「シユムシユ]島の間なる海峡を以って両国の境界とす

(以上は2001,1,16に日本国外務省とロシヤ連邦外務省の共作の「日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集」より転載)

この歴史を読むと古来クリル諸島(千島列島)はウルップ島より北の18島であり、歴史によってクリル諸島の国の所属が変わっても、その境界はウルップ島と択捉島の間にあると云う事を示している。

1951,9,8のサンフランシスコの連合国との平和条約の第2条(c)の云う千島列島は上記ウルップ島より北の18島なのである。 従って今後に予想される日露平和条約でも北方領土の定めはウルップ島の南 択捉島以南が日本領と云う事になり現状と変わりは無い。

 処で北方領土につき、ロシヤは日本との第二次世界大戦に勝利したから北方領土を獲得したとする考えがあるとの事である、これを検証してみる。

それはソ連の対日参戦のころからのことになるが、関係する事柄が錯綜す るので、順に書き出して見る、

s20,8,6、アメリカによって原始爆弾が広島に投下された s20,8,9 ソ連の中立破りの対日宣戦布告

s20,8,10 ソ連軍のソ満国境を越えての侵攻

s20,8,15 日本のポツアム宣言受諾

これより先にスターリンは対ドイツ戦を終わって160万人のソ連兵をソ満国境に戻し日本との中立条約を破棄して満州に攻め入る日をドイツ降伏の3カ月後として、8,10に侵攻し、攻め進む事によって日本の降伏をさせ、戦争終結の立役者の栄を握るつもりがあった。 ところがアメリカによって8,6に原爆が広島に続いて9日に長崎に落とされ 42万人余に人を殺傷したことがその後数日に知られると彼は考えを変更せざるを得なかったであろう、トルーマンに先を越されたと、知ったのである。

(事実日本天皇のポツダム宣言受諾の詔書には原爆の投下が宣言受諾のキーワードであったことが記載されている。)

また事実ソ満国境を越えて侵攻したソ連兵は中々進まない、その頃スターリンは日本を降伏させる夢の代わりに2つの考えを持った。 1つは満州重工業地帯の工場設備の掠奪である、10数社の工場群を根こそぎ取りはずし列車にのせてシベリヤ鉄道でソ連国内へ運びこむ事であった、松花江上の巨大な発電機5基も持ち去られた、 2つ目は日本軍兵士を捕虜として拿捕してシベリヤ等辺地の送り労働力とする計画であった。

これはスターリンが議長となって20,8,23にソ連政府の国家防衛委員会の決定を見た案で極東、シベリヤ等の環境下で体格面で適した日本軍捕虜を50万人 を選別しロシヤ各地に送る、と云う決定をした、これはあとで判明したことであったが、このことは満州で直ちに実行された。

 日本軍は8,16以後天皇の詔勅に従い各地司令は停戦を指示、各地で降伏した この日本軍をソ連兵は直ちに捕虜とし、全て階級を外して、1000名ずつの作業大隊として編成、シベリヤからモンゴール、中央アジヤ各国の辺境諸国に数万人ずつを送った。

(日本政府は20,11月にソ連のこの行為がポツダム宣言第9条に違反する事としてソ連政府へ抗議を申し入れた結果1946.12に日本人抑留者の帰国に関する協定が出来たが、その帰国作業は遅々として進まず多くの抑留者は3年から10年も異境で苛酷な労働に服した、最後の復員船が舞鶴港に着いたのはs56,12月であった。)

 このようにスターリンの考えのなかでチグハグはあったが、苦し紛れに打ちだした人道を無視した事業はすべてが完全実行された、日本の抗議も後の祭りであった。 満州重工業の国家的掠奪は後にアメリカのポーレー調査団のしらべでは895億ドルに及ぶとされた。 捕虜の拉致の労働力化は後に追加されて60万人となった。

最後に北方4島に関することであるが、戦後終戦から2週間も経った8,29に 択捉島に9,1に国後島と歯舞諸島にソ連兵が上陸し、銃器を出させて取り上げ 日本兵全員を作業大隊として送りだした、これは満州における労働力60万人の達成のための最期の仕事であったとしか思えません。

(この時の北方の兵士の気持ちをおもうと涙がでます、長い戦争が終わりこれで故郷にかえることが出来ると思った矢先、いきなりロシヤ兵がおしよせて、自由をうばわれ捕虜として抑留されロシヤに連れられる、目的は強制労働、労働協約も期限もない、スターリンは鬼としか思えません)

北方4島で大戦の最期に起きた事件はこう云う事なのです。北方4島から拉致されて抑留された兵士は記録に残って居ます。

こう考える世界戦争に勝って北方領土を獲得したという考えはどこから出るのでしよう。ロシヤは満州重工業の895億ドルの他60万人の抑留日本兵士 の労働力で大きな利得をしている。その上何を望むのか。

私はこの事は世界の人々に考えて貰いたいと思います。

 最後に今後の北方領土に関するロシヤとの交渉についてです それは
1、 樺太南部とクリル諸島(千島列島)ウルップ島より北へ18島はロシヤに帰属する。
2、 北方領土に居住するロシヤ兵は家族ともウルップ島等ロシヤ領に送還される。
3、 ロシヤの軍事施設等はウルップ島等に移される。
4、 上記ロシヤに返還された領土及びその他の極東地域への経済開発には日本が協力する。
5、 上記を骨子として日露平和条約の締結に努力する。
このような事に尽きると思います.。             

 終わり

                 平成29年3月8日  久保田 英三   

2016年3月14日 (月)

戦後を振り返って第23話

 長銀問題の解決として新生銀行株式に転換について(3)

 長銀株主に対する補償として第21話と第22話で詳述した。
物事の正否を糾す考えからは長銀の清算を前提とする株価0決定は不当となり従って株価を再算定して株主に賠償せよとなる。しかしこの論は間口が広がり巨大な現金賠償に進み現実的では無いと云う事になった。
一方この問題が起きた平成10年以後の歴史的な歩みから見ると、金融再生法により長銀株全部が国に収用され、その時に後に株価が決定されれば補償が得られるという期待を株主が持ったが6カ月後に清算という条件が加えられて株価は0、全株主の権利は0になると云う世界に類を見ない事が起きたのである。

処が以上のような経過のなかで平成11年9月28日に国が持つ長銀株1億株(同じく価額0とされて居た)について新生銀行株式4億6916万株とした。これは前記の国が決定した事柄を自ら破って実行したのであった。
この経過から考えられることは、ここで国に,さきの1億株と同じく残りの長銀株23憶1707万株についても同様に新生銀行の株式とするよう行政措置を講じて貰いたいという事である。

即ち行政的な対処で長銀株主の権利の保護をお願いするのである。
上記の歴史的な成り行きの結果思いもかけぬ結果となった35,415人(社)の0となった権利の回復を行政的な方法で実行して頂きたい、それは11年9月28日の前例もあるので同様にお願するのである。

補足事項
(1)23億1707万株を新生銀行の株式にてんかんする際の1株単価は新生銀行の決定に依る事になりましよう、それは新生銀行の資本金の増加になりますから。

(2)この増資についての資金は旧長銀資産の保有株式類の配当所得の累積から充当されるべきと考えます。

(3)この株式転換論は第21話22話で述べた金銭賠償論とは別次元の論となりました。
従って問題は長銀株主への補償から離れて、新生銀行の株主となる事の是非、其のことの長銀株主の意思、新生銀行の意思と云う面に進みます。
新生銀行としては多くの巨大な株主が出現することの是非、長銀株主としては新生銀行の行動原理への理解、同意、という事柄もあるであろう。
然しそれらの諸問題を乗り越えて、元は一つの長銀からでた銀行であってその資金の多くの部分を長銀の資産から成って居る新生銀行として株式の合併は是認されるのではないかと思われる。
また長銀株主にとっては、前に述べた金額賠償論とは別次元の株価の決定になっても合体後の新生銀行の進行に伴う業容の変化についての期待は生まれて来るのではなかろうか。

(4)長銀の抹殺をこのまま闇にほおっておく事は法治国として許されない、世界の識者はいつか解決されると見て居るだろう、誰がみても国の1億株は4億6916万株の新生銀行株として残りの23憶1707万株を0とする国のやり方が是認される筈は無い。
23憶1707万株の長銀株が新生銀行の株式として生き何がしかの価値を生むことが出来て初めて日本証券界の公正、株主平等の原則回復の証明がされるものと考える。
それは500人の外国人株主が証明することになるだろう。

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2016年2月15日 (月)

戦後を振り返って第22話

戦後を振り返って第22話2016年2月14日 戦後を振り返って第22話    

   民主主義政治の崩壊と長銀抹殺の誤り是正について(2)

前稿において長銀に関しての政治の混迷とそれに続く施策の概要をのべたが、この問題は 複雑な経緯をたどるので、あらためて詳しく検討して見る。

この問題が起きてから18年経っているが、その間を振り返って中に誤りがあればそれを糾すのが政治であると思われる、その観点から事の経過を詳しく検討してみる。

1、 時系列的な長銀問題

(1)平成10年10月16日 金融再生法が成立(法律第132号金融機能の再生のための緊急措置に関する法律)

(2)平成10年10月23日 同法により長銀は特別公的管理銀行とされた、すなわち国営長銀となった。

(3)平成10年10月28日 預金保険機構によって長銀の全株式24億1707万株は収用(没収)された。 この時預金保険機構の通知文には 株主は「後に株価算定委員会が株価を決定した時はその対価を請求する事が出来る」と記載されてあった。

(4)平成10年12月15日に金融再生委員会は株価算定委員会に長銀株価の算定を諮問した、ただしこの時にこの算定基準として「特段の事情の無い限り長銀を清算するものとして」すべての資産及び負債を評価すると云う前提が付けられた。

( コメント 1 ) 上記(4)の清算するものとしてという前提は平成10年10月28日の全株収用のときには無かった条件であり、それは平成10年12月15日の官報号外で公示された金融再生法施行規則であった。
これは上記(3)の全株収用の時に長銀株主に与えた対価支払い請求権を詐害するものであり、清算するとすればそれは権利者長銀株主を害する事は容易に予見することが出来る事であるので民法第424条により詐害行為として取り消し得る行為なのである。 (なお会社の清算とは「法人が解散して財産の整理を為す手続きを云う、また会社の法律関係の結了及び財産の処分を為す行為」と法律学辞典に書かれている。
この平成10年時点で 長銀の清算の問題が出た時、その財産の内長銀の保有株式の処分につき証券業界からそれは不可能、それは証券業界、金融界の壊滅となるとの意見が出て居た.一銘柄億株単位から百万株単位等の株式を処分する事が出来るか否かは  経済界に居る者なら常識であった。
長銀の保有株式は後の株価算定委員会の報告では評価額2兆8746億円であったが、それを見るまでも無く長銀の保有株式を処分して清算すると法律の施行規則に規定する事自体常識外れなのである。 この経済界の実状を無視した条件付けから問題は発展して行く)

1-⑤株価算定委員会はこの諮問に不審を抱きながらも平成11年3月30日に 長銀の普通株の対価、第2回優先株の対価共に 一株0円と報告した (株価算定委員会は長銀を清算するものとしてと云う前提を不審に思ったのであろう、報告書の末尾17ページに継続企業の前提で算出した純資産の額は1569億91百万円であるという表を付けて居る。 このような出だしから問題を抱えた長銀抹殺は進んで行く

2、 国が国営長銀をリップルウッド社を核とする投資組合に譲渡(国はこの様に言う)する経緯(日本経済新聞の記事) 平成11年9月28日に金融再生委員会はこの譲渡を決定して翌日に新聞発表した。

(1) リップルウッドは国が保有する長銀株を10億円で買い取る

(2) 長銀資産を再査定し、国が貸し倒れ引当金3000億円~5000億円を積み増す

(3) 本来は長銀の債務超過の穴埋めに使われるはずの長銀保有株の含み益2500億円強を実現し、新長銀の資本に組み入れる

(4) 譲渡後3年以内に2割以上価値が目減りした債券は預金保険機構が買い戻す。 これらの公的支援の引き換えとして契約には譲渡後3年間は資産の売却や急激な回収を行わない旨を付ける

(5) 98年3月に公的資金で投入した優先株の70%の1000億円を新長銀に継承させる

( コメント 2 )

この発表は国民に対する虚偽の発表である、それはその後に新生銀行のホームページでは国営長銀から新生銀行への社名変更、代表者変更であると記載している。したがって設立は昭和27年12月(長銀設立の日)を記載している。 上記2-(1)の10億円というのは24億1707万株の会社の譲渡金額とは到底思えないこれは社名変更と営業権を引き継ぐ承諾料であったであろう。 また譲渡であったならば長銀保有の株式類2兆8746億円分はどうなったか、これは後に新生銀行に移された事が明らかになって居る、これが譲渡されたのならば膨大な譲渡所得の税問題がでるはずであるがその気配も無い。 この新生銀行への移行を特に問題にするのでは無い、社名変更ならばそれで良いと思う、ただ国が虚偽の発表をするのは何かと問うのである。  もう一つの問題は株価算定委員会が0円と決定した長銀株を国が価額をつけて新生銀行の株式とし、これをもとにして新生銀行の4億6916万株の株主となって居る事。 株主平等の原則を踏みにじる行為である。  

以上が長銀抹殺劇の第1幕である、それは政治による長銀の退場は止むを得なかったとしても,退場させる方法に問題があった、会社清算という不可能な事を株価算定の条件とした事によって長銀株は0円となった。 処がこの結果が却って政府が困る事になったのである、無価値の長銀株に勝手に値を付けて新生銀行の株式とすると云う魔術を使って新生銀行の筆頭株主となったのである。これがこれまでの経過である。

これから今後の第2幕、第3幕に進む、それは結論的な考察である。

3、 第2幕は長銀株式価額の再算定の要求である、それは株主平等の原則に戻ることである。 その方法は平成10年12月15日に加えられた「長銀を清算するものとして」という条件を外す事である。これは長銀の清算は不可能と云う事が特段の事情に当てはまることで容易に条件から外せると考える。 従って株価算定委員会に長銀が営業を継続するものとして株価を算定して貰うことになる。 なお長銀は平成10年10月のこの問題発生以来業務は休むことなく続けられ勿論清算される事は無く国営長銀として、また平成12年6月に新生銀行と行名が変わっても営業は続けられている。 したがって株価算定の時期をいつ時点とするかは、平成12年6月が基準となるであろうが、それ以後の営業継続を加味されたものであるべきと考える。

4、 つぎに第3幕としては長銀株主に対する補償である。 これは老婆心的な記述となるが、ここまで言わないとこの劇は終わらないので付記する。 ここで先ず考えるべきは、株主の内、国の1億株は除外される事である、それは上記2に示したとおり、すでに国が自ら対価をきめて新生銀行の筆頭株主の座を得ているからである。したがって24億1707万株から1億株差し引いた23憶1707万株が対象となる。

再算定された長銀株式の価額を株数に掛け,遅延損害金を付加したものを損害賠償金として各株主に支払えば良いのであるが、ここに長銀の特異性が出て来る。 それは巨大な株主が多い事でそれは日本の産業復興期に大資金の長期貸出しという社会的な使命から融資と同時に資本面でも日本の重大産業を支える使命的な役割を持ったため巨大資本の援助、すなわち株式保有での支援が続けられた。それが30年以上に亘って積み重なっての巨大な株式保有となっている。 1企業に対して億株単位から千万株単位という保有も少なくないのである。 これらの大企業に一時金で賠償をすることは常識的ではないし相手方も処理に困る事になるのではないか。

ここで考えられるのは長銀保有株2兆8746億円と評価されとものは一括して新生銀行に移されたのであるからそれはそのまま新生銀行側に在る筈である(これは平成11年以後に信託財産として別管理されているようであるが)、ただしこれに手を付ける事は出来ない。 然しこの資産は毎年配当所得を生みそれは1年に1800億円以上である(前記2-③の2500億円は1年半の数字であり、これから1年分は1800億円と見られ、その後の配当性向は向上している)、これがその後18年間積み上がっており、それは3兆 600億円以上となるが法人税を差し引いて2兆1400億円以上となるだろう。 そうするとこの配当所得はもともと長銀の投資活動の果実であり長銀株主とは縁の深いものであり今問題にしている長銀株主への補償の財源として新生銀行の同意が得られるのではないか。 そしてこの流動可能な資金で長銀株主への補償は充分の額に積み上がっているのである。

(株主に対する賠償のシュミレーシヨン)

仮に株価が一株500円と算定されたとした場合

 個人株主に対しては一時金 1億590万株×500円=630億円

          630億円+遅延損害金5%×18年=1207億円

 法人株主に対しては保有株式総額2兆8746億円を財団の元本としてその配当金から各会社に10%の配当金を毎年支払うことで5年で補償を終わる

       1年間の所要資金2兆8746億円×10%=2875億円   

        2875億円+遅延損害金5%×18年=5463億円   

     5年間の補償額

          5463億円×5=2兆5426億円 (5年目は3574億円)

 法人個人の補償総額 2兆6633億円 < 2兆1400億円+1260億円×5

  このシュミレーシヨンでは幾つかの想定数字を使っている、このように考えれば株主補償の財源があることを示したものである。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここまでくれば長銀問題は一応幕を下ろすことになる、すべての問題が終わるわけではないが、一応経済的には決着がつくことになる。

現在は第1幕が終わった処で国は満足しているが他の一般株主は何等解決されていない、第2幕、第3幕に進む事によって国の政治の姿勢を糾した事が示される。

 18年前に長銀株主に補償するには余りにも金額が大きくてそれは出来なかった。故に無理な理由をこじ付けて補償を0とした。

然しその後18年の間に長銀の遺産が果実を生み、その年次収入だけで補償が可能となったのである。元本に手を付けなくても補償が可能になったのであるからこれを実行するべきなのである、18年遅れたがその分遅延損害金をつければ理論的に正当となる。

現自民党にとっては過去の自民党が残した付けの清算であるが、御苦労であるが、今が株主補償の財源が出来た好機ととらえて、この宿題を解決して頂きたいと思うのである。

                      (終わり 一長銀株主 久保田英三)  

   記 長銀関係 諸元

1 長銀株主

日本国         1億株

その他        23億17百万株

 (法人4715社  21億9110万株  

 個人30700人  1億2590万株    内外国人500人)

  合計          24億17百万株

2 長銀の最終純資産  1569億91百万円

3 長銀の保有株式  

株価算定委員会の平成11年3月30日の評価 2兆8746億円

4 新生銀行 (平成12年6月に国有長銀から新生銀行に改称)

資本金  5112億円

大株主 預金保険機構 2億6913万株(9,7%)

    整理回収銀行 2億株      (7,2%)

                               以上                                                

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2016年1月23日 (土)

戦後を振り返って 第21話

2016年1月15日                                              
戦後を振り返って 第21話
        
       民主主義政治の崩壊と長銀抹殺の誤り是正について

戦後の日本の政治70年のなかで民主政治の危機が平成10年から11年に起きた。
これは民主主義政治の崩壊とも云うべきものであった。
この事の問題を取り上げるのがそれから18年も経った今になったのは、当時この問題に関わった人が政治家として現職に居ることから、この声を挙げるのを差し控えたのであるが、しかし私自身の年齢を考えると今この事を云い残しておかなければ問題が時の流れにかき消される事を恐れたのである。

(1)  野党議員による爆弾投下
平成10年10月はじめの参議院本会議での民主党議員の発言は民主主義政治を崩壊させるものであった。
民主党議員はこの時日本長期信用銀行の実名を挙げて「この銀行は525億円しか純資産が残って居ないから実質破たんに瀕している」とパネルを掲げて声高に言った。
これに対して宮沢大蔵大臣は「長銀は債務超過ではありません」と言明すると云う異常な国会であった。
憲法第51条に国会議員の発言については院外で責任を負わない、と規定されているが、それは無制限だろうか。
そのあと同じ国会で10月6日に自民党の塩崎議員が昭和40年代に電車の中での一女学生の会話がもとで一信用金庫が取り付けに追い込まれた例をあげて、したがって議員の発言は慎重を要すると野党議員をたしなめた。
国会で、ある銀行が危ないと云えば空恐ろしい起きる、このテレビを見た顧客の取り付けが直ちに長銀の各店に始まり、その日の午後だけで1支店で500億円の債券が解約され、 
数日後には全店で7000億円を越す債券預金の流失となった。
すなわち現実に野党議員の発言が加害行為となった。

このような異常な事態がこの国会で起きた、これがこの日に国会で民主政治の第一の破壊が行われたと云うことなのである。
(現実は長銀はこのひどい野党の攻撃に耐えて生き延びた、最終的に1569億9100万円の総資産が残ったのである。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この事件の半年前平成10年3月に金融システム安定化法によって小渕首相は13兆円の公的資金を投入して長銀を救済する方針を立て、9月に訪米した時にアメリカ大統領に話し、

同意を得て、帰国の航空機中で同行の記者団にもこの方針を表明した。

(2) 自民党議員による民主政治の破壊
民主党議員の爆弾発言のあと混迷した政局のなかで自民党領袖は首相の意思に反して首相の不在中に民主党と手を握り長銀を潰して野党の顔を立てて参議院のネジレ状態を解消する事を実行した。
首相は帰国後何も言わなくなった。
これが自民党と民主党との野合であり、民主主義政治の第2の自殺、自民党領袖による民主主義政治の破壊である。

この結果平成10年10月16日に金融再生法は与野党の合意ができて参議院で可決、成立を見たのであるが、この時首相の意向に反した自民党領袖の専行は何という事か、総理の権限は無視された、その後間もなく小渕氏は脳疾患を患い亡くなったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平成10年10月にはこの様な政治の混迷、民主主義政治と考えられない事態が二つも起きた、この裏に衆議院では自民党多数、参議院では民主党多数とネジレていたことが一原因であった。
然しネジレ国会では必ずこの様なことが起きる、とは言えない。人格高昧な議員の集合であれば斯う云うことは起きないのである。

(3) 長銀株価の決定の経緯
以上のような政治の狭間で路線が敷かれた長銀の抹殺は平成10年10月16日以後に着々と進められた。
10月23日には特別公的管理銀行とされ10月28日には預金保険機構によって国が持つ1億株を含めて全株式24億1707万株は収用された。
この時預金保険機構の株主に対する通知文には、後に株価算定委員会が株式の価額を決定したときにはその対価を請求することが出来ると記載されて居た。

(4) 長銀株価の零決定の怪
平成11年3月30日に株価算定委員会(委員長落合誠一氏、委員 筒中義郎氏 石井清之氏 大橋正春氏 福間年勝氏)は長銀株価を算定して、普通株も優先株もすべて一株零円と金融再生委員会に報告した。これは長銀を清算するものとして全ての資産及び負債を評価する、と云う前提が付けられていた。
この前提は金融再生法の施行規則に定められたものとのちに判明したが、そしてそれは平成10年12月15日の官報に載せられた。
この平成10年12月15日と云う日は株価算定委員会に株価算定を諮問された日なのである。その日に「長銀を清算するものとして」という条件が付けられた、これは平成10年10月28日の全株収用の通知にも無い事であり、事後法である。運動競技においてスタートした後にゴールを無くしてしまうのと同じである。
さらにこの政府の行為は民法第424条に規定される詐害行為取り消し権に定められる詐害行為であり債権者が取り消し得る行為であり、この権利の消滅時効は20年と規定されている(民法第426条)。更に遡れば憲法第29条の財産権の保護にもとる行為である。

(5)  処が長銀は清算されなかった。否清算することが出来なかった、それは長銀資産の内保有有価証券は膨大なものでありこれを処分することは日本の証券業界を壊滅させる事になるからであった。
そう云うことで長銀はこの間1日も休む事も無く、特別公的管理銀行と云う形ではあるが、営業を継続し平成12年(2000年)3月にリップルウッド等からなる投資組合ニューLTCBパートナーズに売却されたのち12年6月に新生銀行と改称した。
この間1日の休みもなく営業を続けた。新生銀行が長銀を改称したとそのホームページに記載している。
この新生銀行へ経営が移行する時日本国政府はその所有する長銀株を10億円で投資組合に売却するほか国が所有する長銀株1000億円を新生銀行の優先株とした。その他国が引き継いだ長銀資産を新生銀行の日本政府所有の株式にする等の結果、新生銀行の22,7%(4億6912万株)を持つ筆頭株主となって居る。
この事実は長銀株式の価額がゼロでは無かった事を現している。

(7) 以上を総合すると長銀は今も新生銀行として生きているが、それは現実には新生銀行の
株式中の日本国政府の持ち株4億6912万株として存在している。

(8) 結語
上記(6)の事実が存在していることは上に縷々と述べた民主政治の崩壊という二つの事件に起因して起きた、長銀抹殺という無理な政治の強行にあった、それを要訳すれば
長銀株価零と算定を強制した政府の誤りと云わざるを得ないのである。
その誤りを現すものが前記⑥の4億6912万株の日本政府持ち株(その由来の説明は出来ないであろう)公表され、永久に残るのである。
株主平等の原則に反した、また無原則な政策が招来したものである。
この事を現在の自民党は覆い隠すことはできない、過去の自民党の為した行為でも問題を明るみに出して反省する事が必要なのである。その間にあった選挙で禊が済んだとは言えない、それは⑥の事実が物語るのである。

そして遅まきながらその是正を旧株主に対してされなければならない。
特に全株主の内ゼロ決定の後税制の配慮がされた法人株主はともかくとして、何の保護もうけなかった個人株主30,700人総計1億2590万株について価格がゼロで無かった長銀の株価を再算定して補償するべきなのである。
                  久保田 英三 2016年1月15日終わり

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2015年9月 2日 (水)

戦後を振り返って 第20話  シュミレーシヨン [本土決戦]

 70年前の太平洋戦争末期に 本土決戦、一億総特攻という言葉が飛び交いました。
それらは当時のせっぱ詰まった戦況から生まれた言葉でした。
緒戦の真珠湾攻撃、シンガポール攻略の輝かしい戦果から半年後には日本軍は敗退に転じます、ミッドウエイ海戦、フイリッピン沖海戦での海軍の壊滅、アツツ島,硫黄島の全滅、そして沖縄の壊滅、さらに戦艦大和の沈没等、これらの敗戦は日本軍の大きな悔恨でありました。

中でも沖縄戦では18万人の将兵と12万人の県民の死を賭した戦いに何の支援も出来なかった日本軍、この戦いは日本本土の決戦を少しでも遅らせる作戦と、軍民一体となって地下壕に潜み、火炎放射機、新型戦車に肉弾で対抗した3カ月の死闘でした。
この壊滅は内地にいる軍の指導者の頭に重くのしかかって居たと思われるのです。それまでの多くの戦いで散げした英霊にたいする慰霊の念も含めてアメリカに一撃報いたいと云う意思も籠った言葉が本土決戦であったと思われます。

 昭和20年7月28日にポツダム宣言が発表されました。そして原爆が8月6日に広島へ、8月9日に長崎に投下されました。政府内ではポツダム宣言を受諾して降伏するか否かで意見がまとまらず,阿南陸相は本土決戦を主張して対立が続き遂に8月10日に昭和天皇の聖断を仰いだのです、陛下ははっきりとポツダム宣言受諾を表明されました。
この時に阿南陸相に代表される徹底抗戦の意思を良く考えて見ると、当時の現状認識の粗誤が浮かび上がって来るのです。

本土決戦の考えには太平洋沿岸に上陸してくる米軍に沿岸に配置した部隊で肉弾攻撃を加える特攻作戦しか無かった、私達予科練生4000人が高知県の太平洋岸に陸戦隊として配置されたのもその一環で、他の地区の予科練生と併せると10万名になったのです。
また日本沿岸各地に板張り船体に250キロ爆弾を装着した震洋特攻隊が75か所1万名がありました。

即ちこの本土決戦作戦はアメリカ軍が戦車、火炎放射機を持って上陸してくると想定した在来型の作戦であったのです。
しかしアメリカ軍が沖縄で行ったような上陸作戦を再び日本国土に対して繰り返すでしようか。

それはその直前に原爆6発を完成したからにはそれを活用する筈と思うのです。
8月6日と9日の広島と長崎への2発の原爆投下がその実験であったのです。両市の上空数百メートルで炸裂した原爆は強烈な火力と破壊力で地上の全てを焼き尽くし、破壊しました、広島市で269,446人、長崎市で152,276人が殺傷されたのです。
若し日本がそれでも降伏しなければ、アメリカは既に完成していた残り4発の原爆を次々と投下するでしよう。それはパステル作戦、オリンピック作戦として計画していた日本への上陸作戦に原爆を加えた攻撃になる筈であったのです。
上陸作戦に先だって遠い太平洋上の基地から航空機で原爆を一発ずつ運び、投下して、日本陣地を壊滅してから上陸する筈であったと考えられます、日本軍が待ち構えている処には原爆の洗礼が行われるでしよう。
恐ろしいシュミレーシヨンになりました、われわれ予科練が数カ月苦労して築いた地下壕も一瞬にして押し潰される事になったでしよう。
アメリカの科学力は日本人が考える戦争の手段を飛び越した物になって居たのです、徹底抗戦を唱える軍人の頭では考えられない壊滅的な敗北しか生まれなかったでしよう。

昭和天皇はこの様な結果を体感されていたのではないでしようか、終戦の詔書に「敵は新たに残虐な爆弾を使用して」と云われこの原子爆弾の非を指摘されました。
昭和天皇の御聖断によって原爆投下は2発で終わりました。こう云うと広島、長崎の御霊421,722柱に申し訳ない事なのですが3発目、4発目とならないで本当に良かったのです。

当時本土決戦、一億総特攻など呪文のように軍の指導者は言いました、しかし国民の多くはそこまでは考えなかった筈です。
そこまで国民を巻き込むのであれば何の為の軍隊なのかと云う事になります。
国民の意識を無視した軍部の独断を排する気持ちですが、杞憂に終わりました。

だから戦争は駄目なのです、軍人も、政府の要人も、ジャーナリストも、多くの人の気持ちを錯乱させるのが戦争なのです。
                      

  (2015,9,1終わり久保田英三)

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