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2017年3月

2017年3月12日 (日)

戦後を振り返って 第25話

戦後を振り返って 第25話

      北方領土の歴史事実を振り返る事により領土問題の解決策は明らかになる

 クリル諸島に関する19世紀の外交文書を見ると北方領土近辺の事情、国境等がはっきりしてくる、それは

1、1855,2,7日魯通好条約  第2条 今より後日本国とロシヤ国との境「エトロフ」島と「ウルップ」島の間に在るべし「エトロフ」全島は日本に属し「ウルップ」全島より北の方「クリル」諸島はロシヤに属す(以下略)

2、1875、8,22樺太千島交換条約   第2款 全ロシヤ国皇帝陛下は第1款に記載せる樺太島の権利を受し代としてその後胤に至る迄現今所領「クリル」群島即ち第1「シュムシュ]島第2「アライド」島第3「バラムシロ」島第4「マカンシル」島第5「ヲネコタン」島 第6「ハリムコタン」島第7「エカルマ」島第8「シヤスコタン」島第9「ムシル」島第10「ライコケ」島第11「マツァ」島第12[ラスツア]島第13「スレドワネ」及び「ウシシル]島第14「ケトイ」島第15「シムシル」島第16「プロトン」島第17「チエルボイ」ならびに「プラット、チエルボエフ]島第18「ウルップ]島共計18島の権利及び君主に属する一切の権利を大日本帝国皇帝陛下に譲り而今而後「クリル」全島は日本帝国に属し東察加地方「ラバッカ」岬と「シユムシユ]島の間なる海峡を以って両国の境界とす

(以上は2001,1,16に日本国外務省とロシヤ連邦外務省の共作の「日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集」より転載)

この歴史を読むと古来クリル諸島(千島列島)はウルップ島より北の18島であり、歴史によってクリル諸島の国の所属が変わっても、その境界はウルップ島と択捉島の間にあると云う事を示している。

1951,9,8のサンフランシスコの連合国との平和条約の第2条(c)の云う千島列島は上記ウルップ島より北の18島なのである。 従って今後に予想される日露平和条約でも北方領土の定めはウルップ島の南 択捉島以南が日本領と云う事になり現状と変わりは無い。

 処で北方領土につき、ロシヤは日本との第二次世界大戦に勝利したから北方領土を獲得したとする考えがあるとの事である、これを検証してみる。

それはソ連の対日参戦のころからのことになるが、関係する事柄が錯綜す るので、順に書き出して見る、

s20,8,6、アメリカによって原始爆弾が広島に投下された s20,8,9 ソ連の中立破りの対日宣戦布告

s20,8,10 ソ連軍のソ満国境を越えての侵攻

s20,8,15 日本のポツアム宣言受諾

これより先にスターリンは対ドイツ戦を終わって160万人のソ連兵をソ満国境に戻し日本との中立条約を破棄して満州に攻め入る日をドイツ降伏の3カ月後として、8,10に侵攻し、攻め進む事によって日本の降伏をさせ、戦争終結の立役者の栄を握るつもりがあった。 ところがアメリカによって8,6に原爆が広島に続いて9日に長崎に落とされ 42万人余に人を殺傷したことがその後数日に知られると彼は考えを変更せざるを得なかったであろう、トルーマンに先を越されたと、知ったのである。

(事実日本天皇のポツダム宣言受諾の詔書には原爆の投下が宣言受諾のキーワードであったことが記載されている。)

また事実ソ満国境を越えて侵攻したソ連兵は中々進まない、その頃スターリンは日本を降伏させる夢の代わりに2つの考えを持った。 1つは満州重工業地帯の工場設備の掠奪である、10数社の工場群を根こそぎ取りはずし列車にのせてシベリヤ鉄道でソ連国内へ運びこむ事であった、松花江上の巨大な発電機5基も持ち去られた、 2つ目は日本軍兵士を捕虜として拿捕してシベリヤ等辺地の送り労働力とする計画であった。

これはスターリンが議長となって20,8,23にソ連政府の国家防衛委員会の決定を見た案で極東、シベリヤ等の環境下で体格面で適した日本軍捕虜を50万人 を選別しロシヤ各地に送る、と云う決定をした、これはあとで判明したことであったが、このことは満州で直ちに実行された。

 日本軍は8,16以後天皇の詔勅に従い各地司令は停戦を指示、各地で降伏した この日本軍をソ連兵は直ちに捕虜とし、全て階級を外して、1000名ずつの作業大隊として編成、シベリヤからモンゴール、中央アジヤ各国の辺境諸国に数万人ずつを送った。

(日本政府は20,11月にソ連のこの行為がポツダム宣言第9条に違反する事としてソ連政府へ抗議を申し入れた結果1946.12に日本人抑留者の帰国に関する協定が出来たが、その帰国作業は遅々として進まず多くの抑留者は3年から10年も異境で苛酷な労働に服した、最後の復員船が舞鶴港に着いたのはs56,12月であった。)

 このようにスターリンの考えのなかでチグハグはあったが、苦し紛れに打ちだした人道を無視した事業はすべてが完全実行された、日本の抗議も後の祭りであった。 満州重工業の国家的掠奪は後にアメリカのポーレー調査団のしらべでは895億ドルに及ぶとされた。 捕虜の拉致の労働力化は後に追加されて60万人となった。

最後に北方4島に関することであるが、戦後終戦から2週間も経った8,29に 択捉島に9,1に国後島と歯舞諸島にソ連兵が上陸し、銃器を出させて取り上げ 日本兵全員を作業大隊として送りだした、これは満州における労働力60万人の達成のための最期の仕事であったとしか思えません。

(この時の北方の兵士の気持ちをおもうと涙がでます、長い戦争が終わりこれで故郷にかえることが出来ると思った矢先、いきなりロシヤ兵がおしよせて、自由をうばわれ捕虜として抑留されロシヤに連れられる、目的は強制労働、労働協約も期限もない、スターリンは鬼としか思えません)

北方4島で大戦の最期に起きた事件はこう云う事なのです。北方4島から拉致されて抑留された兵士は記録に残って居ます。

こう考える世界戦争に勝って北方領土を獲得したという考えはどこから出るのでしよう。ロシヤは満州重工業の895億ドルの他60万人の抑留日本兵士 の労働力で大きな利得をしている。その上何を望むのか。

私はこの事は世界の人々に考えて貰いたいと思います。

 最後に今後の北方領土に関するロシヤとの交渉についてです それは
1、 樺太南部とクリル諸島(千島列島)ウルップ島より北へ18島はロシヤに帰属する。
2、 北方領土に居住するロシヤ兵は家族ともウルップ島等ロシヤ領に送還される。
3、 ロシヤの軍事施設等はウルップ島等に移される。
4、 上記ロシヤに返還された領土及びその他の極東地域への経済開発には日本が協力する。
5、 上記を骨子として日露平和条約の締結に努力する。
このような事に尽きると思います.。             

 終わり

                 平成29年3月8日  久保田 英三   

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