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2016年1月23日 (土)

戦後を振り返って 第21話

2016年1月15日                                              
戦後を振り返って 第21話
        
       民主主義政治の崩壊と長銀抹殺の誤り是正について

戦後の日本の政治70年のなかで民主政治の危機が平成10年から11年に起きた。
これは民主主義政治の崩壊とも云うべきものであった。
この事の問題を取り上げるのがそれから18年も経った今になったのは、当時この問題に関わった人が政治家として現職に居ることから、この声を挙げるのを差し控えたのであるが、しかし私自身の年齢を考えると今この事を云い残しておかなければ問題が時の流れにかき消される事を恐れたのである。

(1)  野党議員による爆弾投下
平成10年10月はじめの参議院本会議での民主党議員の発言は民主主義政治を崩壊させるものであった。
民主党議員はこの時日本長期信用銀行の実名を挙げて「この銀行は525億円しか純資産が残って居ないから実質破たんに瀕している」とパネルを掲げて声高に言った。
これに対して宮沢大蔵大臣は「長銀は債務超過ではありません」と言明すると云う異常な国会であった。
憲法第51条に国会議員の発言については院外で責任を負わない、と規定されているが、それは無制限だろうか。
そのあと同じ国会で10月6日に自民党の塩崎議員が昭和40年代に電車の中での一女学生の会話がもとで一信用金庫が取り付けに追い込まれた例をあげて、したがって議員の発言は慎重を要すると野党議員をたしなめた。
国会で、ある銀行が危ないと云えば空恐ろしい起きる、このテレビを見た顧客の取り付けが直ちに長銀の各店に始まり、その日の午後だけで1支店で500億円の債券が解約され、 
数日後には全店で7000億円を越す債券預金の流失となった。
すなわち現実に野党議員の発言が加害行為となった。

このような異常な事態がこの国会で起きた、これがこの日に国会で民主政治の第一の破壊が行われたと云うことなのである。
(現実は長銀はこのひどい野党の攻撃に耐えて生き延びた、最終的に1569億9100万円の総資産が残ったのである。)
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この事件の半年前平成10年3月に金融システム安定化法によって小渕首相は13兆円の公的資金を投入して長銀を救済する方針を立て、9月に訪米した時にアメリカ大統領に話し、

同意を得て、帰国の航空機中で同行の記者団にもこの方針を表明した。

(2) 自民党議員による民主政治の破壊
民主党議員の爆弾発言のあと混迷した政局のなかで自民党領袖は首相の意思に反して首相の不在中に民主党と手を握り長銀を潰して野党の顔を立てて参議院のネジレ状態を解消する事を実行した。
首相は帰国後何も言わなくなった。
これが自民党と民主党との野合であり、民主主義政治の第2の自殺、自民党領袖による民主主義政治の破壊である。

この結果平成10年10月16日に金融再生法は与野党の合意ができて参議院で可決、成立を見たのであるが、この時首相の意向に反した自民党領袖の専行は何という事か、総理の権限は無視された、その後間もなく小渕氏は脳疾患を患い亡くなったのである。
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平成10年10月にはこの様な政治の混迷、民主主義政治と考えられない事態が二つも起きた、この裏に衆議院では自民党多数、参議院では民主党多数とネジレていたことが一原因であった。
然しネジレ国会では必ずこの様なことが起きる、とは言えない。人格高昧な議員の集合であれば斯う云うことは起きないのである。

(3) 長銀株価の決定の経緯
以上のような政治の狭間で路線が敷かれた長銀の抹殺は平成10年10月16日以後に着々と進められた。
10月23日には特別公的管理銀行とされ10月28日には預金保険機構によって国が持つ1億株を含めて全株式24億1707万株は収用された。
この時預金保険機構の株主に対する通知文には、後に株価算定委員会が株式の価額を決定したときにはその対価を請求することが出来ると記載されて居た。

(4) 長銀株価の零決定の怪
平成11年3月30日に株価算定委員会(委員長落合誠一氏、委員 筒中義郎氏 石井清之氏 大橋正春氏 福間年勝氏)は長銀株価を算定して、普通株も優先株もすべて一株零円と金融再生委員会に報告した。これは長銀を清算するものとして全ての資産及び負債を評価する、と云う前提が付けられていた。
この前提は金融再生法の施行規則に定められたものとのちに判明したが、そしてそれは平成10年12月15日の官報に載せられた。
この平成10年12月15日と云う日は株価算定委員会に株価算定を諮問された日なのである。その日に「長銀を清算するものとして」という条件が付けられた、これは平成10年10月28日の全株収用の通知にも無い事であり、事後法である。運動競技においてスタートした後にゴールを無くしてしまうのと同じである。
さらにこの政府の行為は民法第424条に規定される詐害行為取り消し権に定められる詐害行為であり債権者が取り消し得る行為であり、この権利の消滅時効は20年と規定されている(民法第426条)。更に遡れば憲法第29条の財産権の保護にもとる行為である。

(5)  処が長銀は清算されなかった。否清算することが出来なかった、それは長銀資産の内保有有価証券は膨大なものでありこれを処分することは日本の証券業界を壊滅させる事になるからであった。
そう云うことで長銀はこの間1日も休む事も無く、特別公的管理銀行と云う形ではあるが、営業を継続し平成12年(2000年)3月にリップルウッド等からなる投資組合ニューLTCBパートナーズに売却されたのち12年6月に新生銀行と改称した。
この間1日の休みもなく営業を続けた。新生銀行が長銀を改称したとそのホームページに記載している。
この新生銀行へ経営が移行する時日本国政府はその所有する長銀株を10億円で投資組合に売却するほか国が所有する長銀株1000億円を新生銀行の優先株とした。その他国が引き継いだ長銀資産を新生銀行の日本政府所有の株式にする等の結果、新生銀行の22,7%(4億6912万株)を持つ筆頭株主となって居る。
この事実は長銀株式の価額がゼロでは無かった事を現している。

(7) 以上を総合すると長銀は今も新生銀行として生きているが、それは現実には新生銀行の
株式中の日本国政府の持ち株4億6912万株として存在している。

(8) 結語
上記(6)の事実が存在していることは上に縷々と述べた民主政治の崩壊という二つの事件に起因して起きた、長銀抹殺という無理な政治の強行にあった、それを要訳すれば
長銀株価零と算定を強制した政府の誤りと云わざるを得ないのである。
その誤りを現すものが前記⑥の4億6912万株の日本政府持ち株(その由来の説明は出来ないであろう)公表され、永久に残るのである。
株主平等の原則に反した、また無原則な政策が招来したものである。
この事を現在の自民党は覆い隠すことはできない、過去の自民党の為した行為でも問題を明るみに出して反省する事が必要なのである。その間にあった選挙で禊が済んだとは言えない、それは⑥の事実が物語るのである。

そして遅まきながらその是正を旧株主に対してされなければならない。
特に全株主の内ゼロ決定の後税制の配慮がされた法人株主はともかくとして、何の保護もうけなかった個人株主30,700人総計1億2590万株について価格がゼロで無かった長銀の株価を再算定して補償するべきなのである。
                  久保田 英三 2016年1月15日終わり

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